これをお読みいただく前にまず皆様にお断りしておかなければならないことがあります。これをお読みいただいた後に皆様が後悔してしまう可能性があります。そのため、お読みいただく際にはそのことを覚悟なされた上でお読みいただきたく存じます。
私たち人間の三大欲求とは、食欲、睡眠欲、性欲であると言われています。確かに、生命の維持や種の繁栄にはどれも欠かせないものだと思います。ですが、ある役者は睡眠欲に対してこんなことを言いました。
「二、三日寝なくとも死ぬことはあるまい。寝ている暇があったら芸を磨くことが先決だ。その芸が身を助けるのだからな」
と、芸は身を助ける。確かにその通りだと思いますが、必要な睡眠を取ったほうがより良いパフォーマンスを行なえるのではないかと思ってしまいます。まぁ、それくらいの気持ちで芸に励めということなのでしょうが。また、ある科学者は食欲に対してこう言いました。
「諸君らは食事の時間が楽しいのかね。あんなものは単なる栄養補給にすぎん。どうせ食っても出すではないか」
これまた、至極最もなことだと思いますが、考え方が飛躍し過ぎているように感じます。食事は取らなければ生きていけないのですから、その時間を楽しむというのは悪い事ではないと思います。いや、むしろ楽しむべきだとさえ思います。そして、性欲。LBGTQのように男女という性別の垣根を越えて広く多様化が進んでいます。これに対して同性婚を認める国や地域も増えてきています。未だに賛否は割れていますが、私個人の意見としては一人の人間として人格を尊重するという意味では賛成です。ですが、人工授精や代理出産ということに関しては反対とまでは言わなくとも、私の中で割り切れない思いがあるのもまた確かなことです。不妊に悩む方や多様性の観点から選択肢は多い方が良いのかもしれません。我が国では夫婦間のセックスレスが問題視されている一方で、不同意性交や立場を利用した性暴力事件が後を絶ちません。本来、こうした行為は種の繁栄を目的としたものであるはずなのですが、それを価値観で捉えているということが間違っているのかもしれません。そんな三大欲求とは別に生命の維持や種の繫栄に関わりのない欲も我々人間は持っているものだと思います。全くもって欲張りなものです。などということを私が誰かの代わりに考えているのです。と、いうような内容が色々と書かれた本を最近読みまして、私の考え方はいかに凝り固まったものであるかということを思い知らされました。固定観念や先入観が先に立ってしまい全く視野が広がらないのです。困ったものです。それにしても、物事にはいろんな考え方があるのだということを改めて思わされるものでした。ここに書かせていただいたものは、その本を読んだ時の私なりの見解というか解釈を書かせていただいているので本の内容とは多少異なります。そんな中でも私が取り分け気になったことが代考です。これは面白いと思いました。なるほど、私はこの本を読まなければこうした考えを知ることはできませんでした。私の考えの幅が広がったということを考えれば、代考というのもあながち間違いではないのかもしれません。これは、もしかしたら代考屋などというものをやってみたら結構需要があったりするのかもしれません。とはいえ、どれだけの需要があっても人様の人生を左右するようなことを代わりに考えるような重責は私には担えません。そもそも、そんなことを商売にしようなどという助平根性がけしからん。さて、ここからが今回の本題なのですが、こうして私が考えている馬鹿げた思考回路のようなものを数式化できないかということにチャレンジしてみようと思っています。それでは、早速やってみたいと思います。人生の中では様々な選択に迫られる場面があります。こうしたことを一つの分岐点として考えると、その分かれ道を右に行くか、左に行くかということです。仮に十回の分岐点を迎えたとして、右を七回、左を三回選んだと仮定するとこんな数式が成り立つのではないか。
7R(右)+3L(左)=J(Junctoin)(分岐点)
では、仮に右を選んだ後で私はどう考えるのか。これで良かった、間違っていた、左を選んでいたらどうだったか、そのようなことを考えるのではないか。これを数式化するには、まず右を選ぶことを求めなければならない。
7R+3L=Jなのだから、右を選んだときは、R=J-(6R+3L)となる。これを一つの記号に置き換えてR’とする。良かった時をRG(GOOD)、間違っていた時をRB(BAD)、他を選んでいたらをRO(OTHERS)とすると、(RG/R’)or(RB/R’)or(RO/R’)ということになるのではないか。それでは、右を選んで良かったと考えた後にどう考えるのか、やっぱりな、たまたまだな、ついてるな、そんなことを思うのではないか。
(RG/R’)をまた一つの記号RG’と置き換えると、やっぱりはRG’N(Naturally)、たまたまはRG’F(Fortuity)ついてるなはRGLu'(Lucky)つまり、(RG’N/RG’)or(RG’F/RG’)or(RG’Lu/RG’)ということになる。やっぱりと思った時について考えると、やっぱりと思うということは右を選んだことに自信を持っていたことになる。自信を持っているを記号化し、bc(be confident)、(RG’N/RG’)をまた一つの記号に置き換えてRN’とする。そうすると、こうした式が成り立つのではないか、(Rbc2)=RN’この場合bcを二乗したのは自信があったうえに、それがやっぱりとその通りになったからである。となれば、普通の人であれば気分が高揚するに違いない。気分が高揚すればその足取りは自ずと軽くなるだろう。(Rbc2=RN’)により気分の高揚がもたらされたことを考えると、気分の高揚を記号化してROS(Raise One’s Spirit)とすると、
{(Rbc2=RN’)+ROS}ということになる・・・のか、ちょっと待っていただきたい。だんだんわけがわからなくなってきました。よーし、これはいい調子である。ここまでいくつかの公式、いや、公式ではありませんね、数式を成立させたことから今度は左を選んだ場合のことを当てはめてみたいと思います。7R+3L=Jなのだから、左を選ぶとL=J-(7R+2L)となる。これを一つの記号に置き換えてL’とする。そして、今度は間違っていた場合で考えると、(LB/L’)となり、これを更に一つの記号に置き換えるとLB’となる。そして、たまたまであった場合を考えると、(LB’F/LB’)となる。たまたまとはいえ左を選んだことが間違いであったならば、おそらくその原因は何かと考え、間違ったことに対して反省をするのではないか。この反省を記号化すると、rf(refect)、(LB’F/LB’)を一つの記号に置き換えるとLF’、左を選んだことへの反省であるからイメージとしてはマイナスなため、-Lrfとなり、-Lrf=LF’ということになる。たまたまとはいえ間違っていたのであるから、当然気分は落ち込むであろう。この落ち込みを記号化して、
gd(get depressed)とすると、{(-Lrf=LF’)-gd}ということになる?では、どちらを選んだ場合でも、ついてるなと思った場合はどうだろうか。ついているのだから、右にしろ左にしろG(GOOD)であることは確かである。思いがけず良い結果になった、棚から牡丹餅的なことだと思うので、これを記号化すると、wf(wind fall)、気分は高揚するであろうからROSである。これらをこれまでの式に当てはめると、
{(RorLwf=RorLLu’)+ROS}ということになるのではないか・・・そうなのか。やばい、本当に何がなんだかわからなくなってきてしまった。BON!あっ、頭がパンクしてしまいました。だが、そのおかげで余計なものが吹き飛ばされて、まるで辺り一面水平線の静かな水面の上に立っているような感覚を覚える。いや待てよ、余計なものばかりではなく大事なものまで吹き飛ばされてしまったのではないか。まさか、今のは私の頭がパンクしたのではなく本物の爆発だったのではないかと、私は、自分の五体を改め、周囲を見渡し、自らの存在を確認した。どうやら、まだ私は存在しているようである。ふぅーっと長い息をつき、私は我に返った。まだ、解かなくてはならないことが残されている。もうひと踏ん張り。さぁ、続きに取り掛かろう。右を選ぶにしても左を選ぶにしても、{(RorLbc2=RorLN’)+ROS}、{(-RorLrf=RorLLu’)+ROS}ということを複合的に考慮する必要があることから、これらの数式を一つの記号に置き換えてM(MIX)とする。次はO(OTHERS)についてである。これは右を選ぶにしろ左を選ぶにしろ、どちらかを選んだ時に別のほうを選んでいたらどうであったかという考え方である。それは、ある意味どうとでも考えられることなのである。しかし、仮に右を選んだ時、左を選ぶという事実はその時点で存在しないのである。つまり、どれだけ考えたところで想像の域を出ないということである。数式に置き換えるということは答えを出すというよりも、事実を証明するということに近いので、実在しない物事について数式に置き換えるのは困難を極めると言っても過言ではないと思う。もし、仮に置き換えるとするならば、(RorL=0(ZERO))こうである。なので、このO(OTHERS)に関してはもっと別な新たな考え方をしていく必要があるということから、この(RorLO=0(ZERO)を記号に置き換えるとするならば、r(reset)とでもなるのだろうか。O(OTHERS)は実在しない物事ではあるが、我々人間は一度は選ぶことができたかもしれないとなれば、別のほうを選んでいたらどうだったろうと考えてしまうのである。いや、考えずにはいられないのである。だとすれば、MだけではなくMにrを掛け合わせて総合的に考えて行かなくてはならない。ならば、必然的にMrという式が成立することになる。そして、rは0(ZERO)なのだから、Mr=0(ZERO)ということになる。はて?、これは一体どいうことであろうか。要するに、右だろうが左だろうが選んでみなけらばわからないということのようである。では、これまで私が長々と考えてきたことは何だったのであろうか。意味なし!それにしても、最終的に導き出された答えがミスターゼロとは、全くもって皮肉なものでございます。とはいえ、だいたいからして、人の思考を数式のようなものに当てはめて考えようなんてこと自体が間違っているのである。あぁ、馬鹿くさい。はーぁ、って、皆様がはーぁ、ですよね。結局のところ、選んでみなければわからない、先ののことはわからないということでありますから、今後、皆様が何らかの選択に迫られた時には、自分の好きはほう、自分の行きたいほうを選ばれたらよろしいのではないかと思います。と、いうわけで、今回はこれで失礼させていただきます。最後までお付き合いいただいた皆様に厚くお礼申し上げますとともに、もし、皆様に後悔をさせてしまったのであれば、深くお詫び申し上げます。
そして、これを書き終えた今、既に外は日没をむかえ辺りは夜の帳に包まれている。この街から見る夜空には数えるほどの星しか見えないが、そんな中でもこの時期ならではの大きな月が、満月とはいかないまでも、こうした月を十六夜の月とでもいうのであろうか、僅かに歪な円を描いた月が街を青く照らしていた。そんな月を感慨深く眺めながらこう思うのである。・・・私は馬鹿か・・・・・と。
飯島