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日常~第2話~

男は気を取り直して再び歩き始めた。歩き始めたのも束の間、男は何かに足を取られて転びそうになってしまったのである。男は自分が一体何に足を取られてしまったのかと、自分が歩いてきた場所を振り返ると、そこには衝撃の光景が広がっていた。男はその光景を見て声には出さずに呟いた。
「フッ、まさかな、そんなはずはない。いやいや、有り得ないだろ」
なんと、男が振り返ったそこには足を取られるようなものは、というより全く何もなかったのである。男は思った。
「もしや、今のは気のせいだったのだろうか。若しくは、今のは自分ではない他の誰かだったのではないか。そうだ、今のは俺じゃなかった。そうに決まっている」
いやいや、あなた以外の他の誰でもありません。そうに決まっているのです。男が歩いている場所はインターロッキングという長さ20センチ、幅8センチ程のコンクリートブロックを並べた歩道で、見た目には平らに見えるがブロックとブロックの間には5ミリにも満たないわずか数ミリの段差がところどころに点在する。男はその段差につまずいたのである。男は中年のやもめ(独身)であり、自分では気を付けているつもりでも、どうしても外食や出来合いのもといった偏った食事になってしまうのである。そうした不摂生によるわずかな変化に気づかず、いや、気づいていながらも看過してきたつけが、このわずかな段差によってもたらされたのである。男は如何に自分が年を取ったのかということを思い知らされながらも、今のは自分ではないと自分に言い聞かせ、それすらも他人のせいにして再び歩き始めた。しばらく歩いたところで立ち止まり、男はふと思い立った
「そういえば、今朝家を出た時、鍵をかけただろうか」
こういうことは一度気になり始めたらきりがない。きりがないが、どうすることもできない。なんとももどかしい限りである。男はこの先の会社までの道中の景色など全く目に入ってこない。それどころか自分がどこをあるいているのかさえわからない状況である。そんな状況にもかかわらず、男はあるビルの前で立ち止まった。そうこのビルこそが男が勤める会社があるビルである。回りの景色などうわの空で歩きながらもきちんと目的地に辿り着く、これは日々の習慣によって成せる業なのか、それとも人の帰巣本能なのか、いずれにしてもすごい能力である。男の会社が入ったビルは見た目には数多の飲食店が混在する雑居ビルのようであるが、各フロアーごとにいくつかの会社が事務所的な目的で使用しているれっきとしたオフィスビルである。男は入口の重いガラス戸を押して中に入るとエレベーターの前に立ち、上りのボタンを押した。このエレベーターも趣がある。室内は大人が五人ほど乗ればそれで満員状態の狭さで、行き先を指定するボタンは乳白色のプラスチック製で直径2センチほどのボタンが壁から1センチほど飛び出しており、その表面に行き先の階数が刻印されているいかにもボタンといったもので、行き先のボタンを押すと、黄色には濃く、オレンジには薄い、白熱電球を思わせるような色のどこか暖かみのある灯りが点灯するのである。こうしたもにに暖かみを感じるというのは私も古い人間ということですかね、いやはや。少なくとも考え方だけは新しくいたいものです。さてさて。男の会社はこのビルの五階、男はエレベーターに乗り込むと自分の行き先のフロアーのボタンを連打した。エレベーターのボタンは一度おして点灯すればそれで良いのである。連打したからといって早く着くわけでもなく、もし早くしたいのであれば、早く扉を閉めるための閉のボタンを押すべきなのである。つまり、ボタンを連打するというこうした行為を無駄な労力というのである。にもかかわらず、男は、
「ヨシッ」
と、小声で呟き背広の襟を正した。全くもって一体何が良いのやら。エレベーターを降りると目の前が会社の入り口になっているいかにもオフィスビルらしい造りになっている。中に入るとそこはビルの見た目とは裏腹に思いのほか広く、特にこれといった仕切りがあるわけではないのだが、机の配置などからいくつかの部署に分かれているというのは想像がつく。男は入口のすぐ右脇に設置されたタイムカードホルダーから自分のタイムカードを抜き取りカードリーダーに通した。ブーッブブッという音とともに出勤時刻がタイムカードに打刻された。その打刻された時刻を見て男は、
「フッ」
と、鼻を鳴らした。打刻時刻は八時三十三分、男の会社の出勤時刻は九時なので少し早めの出勤ということになる。何かあった時のために少し早めに出勤するというのは、社会人にとって珍しいことではなく、むしろ普通のことのように思える。そんなことで得意げに鼻を鳴らされてもと思ったが、どうやら男が鼻を鳴らしたのは少し早めに出勤したことに得意げになったのではなく、打刻時刻を見てこう思ったからであった。
「フッ、パンの耳かこいつは縁起が良さそうだ」
えーと、一体それは何故に。まぁ、験担ぎなどというのは人それぞれであろうからそれは良いとしても、八時三十三分、833という数字から考慮するならばパンの耳よりもハサミのほうがしっくりきそうなものだが、これも人それぞれということであろう。男は自分の席に着くと、カバンを机の脇に置き、ウエットティッシュで机の上を軽く拭き、会社でお茶を飲むために常備している自前のコーヒーカップを手に取り、コーヒーを淹れるべく給湯室へと向かった。給湯室には先客の女性社員がいて、数人分のお茶を淹れていた。女性社員は男がカップを手にしているのを見て、気を利かせて、
「淹れましょうか」
と声をかけてきた。せっかくの女性社員の好意を男は、
「ありがとうございます。でも大丈夫です。自分で淹れますから」
と、あっさりと断ったのである。女性社員は特に気にする様子もなく、数人分のお茶やコーヒーを淹れたカップを乗せたお盆を持って、
「お待たせしました」
と言って、給湯室を後にした。男が女性社員の好意を断ったのには理由があった。男にはコーヒーを淹れる時の一種の拘りがあったのである。それは、どこにでも売っている市販のインスタントコーヒーの粉をティースプーンで二杯(目分量)と、お湯はカップの八分目(目分量)というものである。どちらも目分量なのだから誰が淹れても然程変わりはないというものである。つまりこれは、拘りなどではなく単なる自己満足に過ぎないのである。そもそも拘りというのは、その先にあるもののためにするようなものであって、例えば料理でいうのであれば食べる人が食べやすいように隠し包丁をいれたり、仕入れるものは自分の目で確かめたりというようなことである。また、様々な施設でいうのであれば、その施設を使用する人がいつでも快適に使用できるように温度、空調の管理であったり、隅々までいきわたった清掃であったりというようなもので、食べる人や使用する人がそのことに気付こうが気づくまいがそれを行なうことに手間暇を惜しまない、それが拘りである。また、自分に向けたものでいうのであれば、それがどのようなことであってもそれを行なうことについては他の人には決して真似のできないようなものというようなものである。芸術でいうのであれば、独創性がなければならないということである。例えば、絵をいくら上手に描いたとしても、それはただ単に絵を描くのが上手というだけのことなのである。見た目には全く同じような絵に見えても、見る人がみればその差に気付かれてしまう。つまり、同じ絵の中にその人にしか出せないものというものがなければならないのである。だから、いくら上手に描いても誰かと似たような技法や表現では評価を受けるのは難しいのである。つまり、拘りというのは、おもてなしであったり、努力、誇り、信念、正義、個性という言葉に置き換えられるものでなければならないと私は思う。もちろん、自己満足というだけであればそれはそれで構わないのだが、今回問題なのはこの男のくだらない自己満足のためにせっかくの女性社員の好意を無駄にしてしまっているということである。全く持ってけしからん。はっ、私としたことが拘りについて拘り過ぎてしまいました。いや、拘りについてこれほど語る必要はなかったということを考えればこれも私の自己満足に過ぎません。いやはやなんとも面目ない。ところで、件(くだん)の男はと、おっ、いたいた。どうやらこの男にはそんなことどこ吹く風のようである。自分の席に着くと足を組み、肘掛けに左の肘を掛け、右手でカップを持ち鼻の前でくゆらせて、鼻で大きく息を吸い込み香りを嗅いで、
「う~ん」
などと言っている始末である。どこでも買えるインスタントコーヒーを目分量で淹れただけなのに、何が「う~ん」なのだか、はぁ~。
もう少し書きたい気持ちはやまやまなところではありますが、少々長くなり過ぎてしまったので今回はこの辺りで失礼させていただきます。それでは皆さん、
「ジャン、ケン、ポン。チョッ、グー。へっへっへぇー」
次回、お楽しみに!


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